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街のさざめき・野のしじま
カメラをぶら下げた徘徊中年男は濁った眼で何を見るか
2009/04/21
東へ西へ
全く安曇野の春と来たら、ある朝起きるといきなりだ。雪柳、梅、桜、桃、辛夷、連翹、芝桜に杏。花という花が全て同時に開き、咲き乱れ、節操が無いほどの勢いで野を色で埋め尽くす。抑圧から解放された彼女たちの生殖意欲はあからさまに淫らで、挑発に乗せられて東へ西へと駆けずり回る羽目に。
ところが写す側の姿しか写らないのが写真の不思議。刹那の春を必死に生き、死の覚悟を持って揺れる花弁のエロスを、昨日の酒が残り震える指先などで写し込めるはずもなく、今日もただタイヤをすり減らし家路に着くのであった。
2009/04/07
水の音
子供の頃を過ごした岡山では、西日本の都市の多くがそうであるように、街の水は死んでいた。泥の底からぬたりと上るあぶくのメタン臭にむせながら、それでもフナや泥鰌を掬っては小さな命達の神になる真似事に耽った日々。
あれから何十年、信州ではいまだに水が生きている。松本は縄手の路地、時間の流れの止まったような一角に踏み入ると、高校野球のアナウンスや食器の触れあう音に混じってコポコポ聞こえる湧水の流れが心地よい。北アルプスの息遣いが暮らしを暮らしとしてまっとうに育むのか。酒を飲むには早すぎる午後。
眼差し
街の記憶はいつだって焼けつく暑さか凍てつく寒さのどちらかと共に皮膚に刻まれている。
2月の善光寺、灯明祭り見物の時も、蒼い月の輝きが増した頃から冷え冷えとした空気が少しずつ盆地に沈殿し始め、帰る頃には車を遠くに置いた事を後悔する程。
駐車場に戻る途中、道の向こう側の花嫁衣装のウインドウにふと目が留まり、ガラス越しに一枚。首上のない彼女は具象化された幸せの衣を身に纏い、白い息を吐きながら家路に急ぐ人々を見つめているのか、いないのか。
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Riverz
安曇野市, 長野県, Japan
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